荒野へ [本]
珍しく忠実な日本語訳。ほとんど意味もずれていない。
主人公は二十歳そこそこの若者。大学を卒業した後
何かを否定するようにアラスカの原野に入っていきそこで
餓死してしまう。
当時はセンセーショナルな事件であり大分世間を騒がしたようだが
雑誌に投稿された記事を書いたのが作者のジョン・クラカワー。
この手の事件に良くあるようにあらぬ誤解を大分受けたようで
その辺りを、何故このような事件が起こったか、ということを
もっと詳しく解きほぐしていこう、それによって当事者の名誉回復を
図ろう、とこの本では試みている。
若者特有の社会との、既存の価値観、枠組みとの対立
そのような背景を基に違った角度から
一面的、表層的にならないようにまた主観的になりすぎないよう
注意深く書いてある。
もっとも作者は著名な登山家でもあるらしく、主人公の
クリストファー・J・マッカンドレスにかなり感情移入している
部分もあるが。
アメリカいったことある人なら感じたことあるかもしれないが
あの圧倒的な自然の力、スケールの大きさはあそこでしか
味わえない。(それ以外あんまり見るものない国といって
しまえばそれまでだけど)、それと人々が未だに持つ一種の開拓者精神
自然回帰の発想(僕の場合オキーフの絵がいつも頭に浮かぶ)
といったことも共感できるところだろう。
早い話、文明が嫌いな田舎者ともいえるのだが
自然側に自分を合わせ調和していくというメンタリティでもある。
物質文明が最も発達した国でそれを批判する側に立つという
人がいるのもおかしくない。
ショーン・ペンが監督の映画が最近公開された。
ショーン・ペン自身映画化するにあたって遺族の許可を得るのに
9年の年月を要しているらしい。
それを聞いてまず原作を読んでみようと思った。
大抵は本の方が面白いので。
ばななさん [本]
病院の帰りに本屋によってその時たまたま
本屋で吉本ばななの本を手に取った。
吉本ばなななんて読んだのおおよそ15年ぶりだ。
今ではよしもとばななとオールひらがなに改名しているらしい。
その時は「ハードボイルド/ハードラック」を読んだ。
この人の本って薄くて病気の時に読むにはもってこいかもしれない。
で、書かれていることもある共通のテーマを基にしているので
視点がぶれず安心して読める。
具体的にいうと人間の優しさ、他者への思いやり、そういった
ことだろうか。トラブルや災厄に見舞われてもなんらかの救いを
経て僕らは再生していく。そんなことを彼女はいおうとしている。
(と個人的には勝手に想像している)
文中の語彙、ボキャブラリーはどれも簡単なものなのだけど実に注意深く
繊細に各所に配置され、使われている。
簡単そうだけど、誰にでも書けそうだけど、彼女にしか書けない
ようするに天才なのでしょう。
その後、「白河夜船」、「デッドエンドの思い出」も
読んでしまった。
彼女の本、何故か若い女の子に勧めたくなる。
女の子達と僕との間の世代を超えた共通言語となりうる
何かを持っているからだ。
これって実は結構凄いことなのかもしれない。
通常、女子高生が携帯で読んでる小説、まず間違いなく
僕らにとっては読むに耐える代物ではない。
逆もまたしかり。僕らが読む本を彼女らが読むことはないだろう。
オヤジの趣味はあくまでオヤジのものだ。
そういう一般的な壁を(所謂ジェネレーションギャップですね)
いとも簡単に打ち破るパワーを彼女の作品は持っている。
パーク・ライフ [本]
実は吉田修一の本が好きで、密かに愛読している。
等身大の人物とそれに見合った視点、でも文章はどこか
巧みで、現実世界の切り取り方のうまさにいつも感心させられる。
そうそう、そういう風に考えるんだよなあ
とか、あるいは逆に
へぇーっ!そういう見方もあるんだ
とか、登場人物の(つまり作者の)感じ方、とらえ方に
いちいち頷いたり、反発したりとかしている。
要するに、こちらの心の中に何かを呼び起こすらしい。
劇的に何かが変わるわけでもない、割と平凡な
プロットの小説でもそれは変わらない。
この本の場合、表題作の『パーク・ライフ』がそれで
物事が大きく動き出す前に、何かを暗示したまま
小説が終わってしまう。
なんだか、まったく小説の説明になっていないが(^^)
この人の作品はもともとストーリーが好きで読んでいる
わけではないので、どうしてもこういういい方になってしまうようだ。
もういっぺん『flowers』のほうは、タイトルどおり花々が重要な役割を
果たしている。
主人公の奥さんが女優志望ということで上京して劇団に入るのだが
読んでいて、先日結婚した後輩の奥さんを思い出した。
この人も、ミュージカル女優志望ということでこちらに出てきたのだが
結局その夢は叶わなかった。吉田修一の場合、直接そうとは
書いていないのだが、おそろしく文章がうまいせいか
「こいつは絶対に売れない」
というところがはっきり明示されているところが凄い。最初から
ものにならないということを前提に、でもそれを直接的に描写することなく
ディテールを積み重ねて表現している。
ものにならないというのは実は最初から決まっているわけで
でも、本人は気づかずに(あるいは半ば気づいていても)
掛けてみるのが若さなのかもしれない。
才能というのはダイヤの原石のように光り輝くものであって
誰かに見つけてもらうのも才能なのだろうか。
若者特有の自身のすり減らし方、倦怠感なんかを
久々に思い出した。かつては皆こういう時代があったのだ。
テロリストのパラソル [本]
awayさんのところでも取り上げられていた藤原伊織の小説。
面白そうだなと思いさっそく読んでみた。
(割合人の意見に影響されやすいもんで(^^;))
平成7年に江戸川乱歩賞、翌年に直木賞を受賞したらしい。
読んでみると、これ以上はないというチャンドラー。
どこを切り取ってもチャンドラーぽい。
チャンドラーとはいうまでもなく、ハードボイルドの元祖
レイモンド・チャンドラーのことだ。「長いお別れ」、「さらば愛しき女よ」
など数々の傑作をものしている。
おそらく、藤原さん、細部にわたってチャンドラーを研究したのだろう。
チャンドラーの場合、そのプロットが矛盾だらけであることがかつて
トルーマン・カポーティに指摘されたことがあったが、チャンドリアンは
あまりに熱心なあまりその辺まで踏襲してしまうらしく
この小説もやや展開に無理な部分もある。
でも、いいんです。チャンドラーの場合なぜだか知らないが
そういう欠点が長所にもなってしまう。だから初めて読んだ作者にも
関わらず、極めてすんなりと読めた。
チャンドラー的な小説を書く場合、いくつかの作法がある。
1)主人公は独身、もしくは結婚したことがあっても今は一人。
中年以降の年齢。
2)体制側に対してマンパワー、リソースでは劣るが
それに屈することはない。孤独な一匹狼だが
大藪晴彦の小説に出てくるようなスーパーマンではない。
3)そして、これが一番重要なことなのだが
女の人に非常によくもてる。
ようするにモテ男だ。
この辺の決まり事さえ守れば、時代、設定場所、舞台は
どこでもよく、結果的に実に多くのフィリップ・マーロウの
分身が登場することになった。
チャンドラー以前の推理小説というと、アガサ・クリスティの
ようなトリックが主題のものがほとんどだった。
ダシール・ハメットとその正統な後継者のレイモンド・チャンドラーが
リアリズムを推理小説の世界に持ち込んでから以後、がらりと趣の
変わった作品が登場するようになった。とはいってもおとぎ話の中での
リアリズム、現実世界とはあくまで異なる。
僕がいつもいう「男のハーレクインロマンス」ですね。
個人的には、今となってはこういった小説、あまり真面目に読むことはない。
というと失礼ないい方になるが、むしろ僕としてはリラックスしながら読みたい。
酒飲みながらでもいい。なんとなく筋が読めるというか、今更こういうものから
新しい何かを学ぶことがないことがわかっているからだろう。
新鮮な刺激は無いのだが、こちらを必ず楽しませてくれる、そしてほっとさせてくれる
何かを持っている。
因みに「テロリストのパラソル」は「長いお別れ」をモチーフとしている。
冒頭の部分、それと最後に友達と再会する部分がそれだ。
フィリップ・マーロウがテリー・レノックスと再会するシーンと
読み比べるとよくわかる。
新長いお別れ [本]
レイモンド・チャンドラーの最高傑作といえば「長いお別れ」だけど
最近、村上春樹の訳したものが新しく出版されたらしい。
この前試しに書店で手に取ってみた。
レイモンド・チャンドラーがここまで有名になったのは
作品のクオリティーももちろんのことだが清水俊二氏の
翻訳によるところも大きいのだろう。
この超ウルトラ格好つけ、自己満足でナルシスチック
男のハーレクインロマンスのような小説をかようにうまく料理したのも
ひとえに氏の功績に違いない。
一歩間違えば、どうしようもない俗物的な低次元の世界に
陥ってしまいそうなものをキザでいてそれでも格好良く
なおかつ非現実的でありながら現実的(ようするに上に述べたことの
裏返しですね)というレイヤーに(良質な翻訳により)ぎりぎり保つことに成功している。
チャンドラーの描く世界はこれ以降、ハードボイルドと呼ばれる
世界のデファクトスタンダードとなっている。
ロス・マクドナルドもミッキー・スピレインもロバート・B・パーカーも
ローレンス・ブロックも所詮、チャンドラーの亜流に過ぎない。
原寮なんて日本の作家なのに傾倒するあまり文体まで翻訳風に
なってしまっているぐらいだ。
ようするに、ビル・エバンス以降、ジャズピアニストは皆彼の
影響を避けて通れないのと一緒だ。チック・コリア、キース・ジャレット
リッチー・バイラーク、ハービー・ハンコックなどなど挙げるときりがない。
だから、書店で立ち読みしてみた限りでも
僕にとっては既に別世界、違った作品に感じられる。
これは村上春樹がいいとかわるいとかいう次元で論じられる
べきことではないのだろう。
まあ、ひとつの試みとしては面白いと思う。
にしてもフィリップ・マーロウという人物は(主人公の私立探偵)
翻訳家によってかくも異なる人格を付与されてしまうもんなんですね。
文体が一人称だからだろうか。
ニック・ホーンビィ [本]
ニック・ホーンビィというイギリスの作家がいる。
フィーバーピッチという自身の好きなサッカーチームに対する
想いを綿々と書きつづってイギリスで大ベストセラーになった。
もう10年以上前になるだろうか。
この人、本当に文章がうまい。人物造形が実に巧みで
男女問わず、1人称で見事にその人になりきってしまう。
難しい言葉は使っていないのだが、情報の処理がうまく
本人や周りの人の言葉から本当に自然にその人となりや
置かれた状況、問題を知ることになる。読んでいて
本当にくだらないというか呆れてしまいながら(所謂イギリスのユーモアですね)
気がつくとちょっと真面目に考えさせる、という内容の場合が多い。
この人、短編では実にお洒落な傑作をものしている。
日本では「乳首のイエス様」
というタイトルでソニーマガジンズより出版されている。
短編集といってもホーンビイはこの中では一作しか書いていない。
この人以外に様々な作家が参加しているアンソロジーで、珍しいところでは
俳優のコリン・ファースなんかも寄稿している。その他ロディ・ドイル
アーヴィン・ウォルシュ、ゼィディー・スミスなどなどイギリス系
現代文学ではそうそうたるメンバーが顔をそろえた。
この短編集、ホーンビイ自身の息子さんが自閉症で
そのチャリティーを兼ねて、といった趣旨だったと記憶している。
売り上げがチャリティーに寄付されるらしい。
(つまり参加している人達はノーギャラですね)
それはともかくこの「乳首のイエス様」では主人公はバウンサー、
ナイトクラブとかの入り口に立っている馬鹿でかい、ごつい男だ。
英語ではBouncer, つまり跳ね返す人という意味になる。
望ましからざる顧客をお店に入れないようにする人のことですね。
この主人公が、一緒に住んでいる彼女に説得されてもう少しまともな
気質の、昼間の仕事を始めるようになる。それが美術館の警備員で
その時たまたま同時に展示されることになった作品がいろいろ物議を醸すもので
といった内容になるのだが、後は読んでのお楽しみということで
このへんで止めにしておく。
比較的、短い作品の中でそれぞれの人物造形がかなり重層的に
奥深く、書き込まれているところは、見事という他はない。
それと、くだらない内容ながら、実は神様についてちらっと考えさせる
ところがまた素晴らしい。現代文学って主題に対してストレートに
訴えかけるものではないんですね。
愛の続き [本]
ストーカーという言葉最近ではすっかりポピュラーになった。
彼らの行動規範、動機付けの中心には当然恋愛が来るのだが
最近、風変わりな小説を読んだ。
イアン・マキューアンの「愛の続き」だ。
科学ジャーナリストの主人公は英文学者の恋人とピクニックに出かける。
そこで気球の事故に遭遇し、結果的に一人の人間が命を落とす。
そこでたまたましりあった男が事件のあと主人公につきまとう
ようにある。
人が死ぬ、という異常な状況中で、どうしてこのような異常な気持ちが
人の心に芽生えるのだろうか、という命題を中心に
ストーリーが進んでいく。
面白いのは、ここではストーキング行為自体が純粋な病として扱われて
いることだろう。精神病の一種であるド・クレランボー症候群というもので
患者(ないし主体、通常は女性)は客体の男性(しばしば患者より高い社会的地位にある)
が自分を愛しているという強力な幻想を抱く、ものらしい。
勘違いされた方は迷惑千万なのだが、主人公は科学ジャーナリスト。
妄想を抱く側が持ち出す神の論理を、冷たく否定して、それが結果的に
話を悪い方向に持って行ってしまう。
マキューアン自身は恋愛がいろんな形態で成り立つことを示している
ともいえる。
原題の"Enduring Love"とは
「継続する愛」という意味ともう一つ「愛を耐える」という意味を持っている。
我慢することが必要なのだろうか。
夏への扉 [本]
ビジネスパートナーに裏切られ、ついでに女にも騙され
と踏んだり蹴ったりの発明家が現実逃避を兼ねて
自身を冷凍保存し、三十年後の世界に行ってみたら
というストーリー。作者はフィリップ・K・ディックなどと並んで
SF小説の大家とされているロバート・A・ハインライン。
SFといっても遙か50年前の話なので、彼が描く西暦2000年と
今現実の僕等が生きている世界とかなり剥離があるのが面白い。
アマゾンでの書評を読んでいて一番印象に残ったのが
「小学生だと早すぎるし高校生だと遅すぎる」本
というものだろうか。
その点では既に40過ぎて、初めてこの本を読んだ僕は
対象読者から外れてしまっているわけだがまあ、それはそれで仕方がない。
というわけで大人としてやや穿った、意地悪な見方をしてみよう。
環境問題だとか、現実世界で最大の問題となっていることはこの中では
ほとんど出てこない。あとは、ソフトウエアが人間の行動様式の隙間を
埋めるような役割をしていることもここでは書かれていない。
でも、一番の相違点はそんな些細なことではなくて結婚の意義が
この50年で様変わりしてしまったことだろうか。時をずらすことによって
彼を初恋の人として慕う少女と結ばれる主人公だが、今だったら
むしろ若いままにしておこうと考えるロリコンのほうが多いだろうな
とひねくれた僕は考えてしまう。
当たり前のことだが当時はオタクという人達は存在しなかった。
人間は(情報の少なさ故)かようにロマンチックな生き物だったわけだ。
「夏への扉」という題名は、常に夏を探し求める主人公とその猫の人生観を
表している。山下達郎がインスパイアされて同名の作品を残してもいる。
セメント・ガーデン [本]
セメント・ガーデンとはその名の通りセメントで固めた庭のこと。
主人公の家のお父さんが心臓を悪くして庭仕事ができなくなり
やむなく庭をセメントで固めることになった。
そのお父さんが心臓麻痺で死んだ次の年、お母さんも病気で亡くなってしまう。
家を出なければならなくなるのが嫌だった兄弟たちはお母さんの死体を
セメントで埋めて、コンクリート詰めにして地下室に隠すことにする。
思春期を迎えひたすらマスターベーションに励む主人公の僕
と女性として自分を誇示することを覚えた姉のジェリー。
この二人を軸としてストーリーは進んでいく。
死体遺棄、近親相姦がこの作品のテーマなのだが閉じた世界である故
読んでいくうちにこちらが慣らされてきてだんだんタブーと感じなくなってくるところが
怖いところでもある。
このへんのところ、作者のイアン・マキューアンの筆力、さすがという他はない。
ただ、非常に緊張感を保持したままで書かれているため、僕の場合読んでいて
ちょっと疲れた。同じ作者でもっと後に書かれた作品、例えばアムステルダムのほうが
もっと楽に楽しめる。こちらも自堕落で度し難い人間達が主人公なのだが、いい加減な
分だけこちらも肩に力を抜いて接することができる。
やっぱり思春期というのはいろいろと面倒なことが多く、疲れるものなんですね。
余裕がないというが(過去を回想してみて、今にして初めてわかることだが)
特徴なのかもしれない。
個人的にもいろんなことを思い出した。
そういえば夏休みは限りなく貴重な時間にもかかわらず(そういうことを知覚しないのが
思春期の思春期たる所以なのだが)暑くてうっとうしいだけだった。
ちなみに幼少期や思春期をうまく書ける人は文章のうまい人でもある。
この人僕の師匠(と勝手にこちらが位置づけているが)の一人だ。
年取っても格好良い [本]
面白いというより、見つけてしまうとつい買ってしまう作者の本がある。
ローレンス・ブロックのマッド・スカダーシリーズだ。
ニューヨークに住むアル中探偵が主人公のハードボイルドものだが
最初の作品が発表されてからもう30年近くになるという。
最も新しい作品"All The Flowers Dying"が16作目になるという。
いつもは最初、英語のペーパーバックで読んでその後、本屋で単行本を
見つけると(かなり月日が経っているのでストーリーも忘れてしまっている)
買ってみる、ということをやっていた。
その間、スカダーも年を取り、酒を止め、知り合いだった娼婦と
結婚して今に至っている。
彼の作品の中で印象に特に残っているシーンがある。
「八百万の死にざま」の最初の部分だ。
北欧系の娼婦が現れてスカダーに相談する。
この稼業から足を洗いたいのだが、一人でやる自信がない。
スカダーに自分のヒモに話をつけて欲しいという。
スカダーは黒人のヒモをみつけてその話をする。
情報屋を使って彼の居所を見つけるのだが、面白いことにボクシングの試合
で話をする羽目になる。(そういえばボクシングってその手の人が多いですね)
無事ネゴが成立し、その後娼婦と会う。彼女と寝た後で彼女が殺されてしまう。
この冒頭の数章がなんともいえず好きだ。
最初、待ち合わせた時に娼婦の声が思ったより子供っぽい声であるところの
ディテールのうまさなんか本当に良く書き込まれている。
北欧系なので金髪で、背が高くだからもう少し厳しい、SM的な人間を
予想していたのだがそれに反してというくだりだが、殺された娼婦が
中西部のありふれた田舎出身であることがスカダーの抱いた何気ない
感想からも伺える。
ディテールに神が宿るという例の典型だ。
一番面白い、あるいはクオリティでいうともっと後の作品
「倒錯の舞踏」、「獣たちの墓」
あたりだろうか。麻薬ディーラーやセックス殺人ビデオなど
病んだ世界を舞台に主人公が活躍するという設定のうまさが
作品を魅力的なものにしている。
チャンドラーが好きな人にはお勧めです。












